探訪!オートデスク株式会社
天野幾雄氏
アートディレクター/グラフィックデザイナー
1965年、東京藝術大学美術学部卒。1966年、株式会社資生堂宣伝部入社。宣伝部部長、役員待遇宣伝制作室長を歴任。春、夏、秋、冬の各シーズンキャンペーンの他、「ベネフィーク」「インウイ」「オイデルミン」をはじめとした主力ブランド広告、企業広告など数多くのアートディレクションおよびデザインを手掛ける。1998年に開催された資生堂企業文化展「美と知のミーム、資生堂」展のプロジェクトリーダーを努める。
2004年独立。2021年、クリエイティブな出会い「コシノジュンコ×天野幾雄」資生堂との仕事展開催。東京アートディレクターズクラブ(ADC)会員、日本グラフィックデザイン協会(JAGDA)会員。ADC賞3回、カンヌ国際広告映画祭金賞、銀賞、ニューヨークADC銀賞、広告電通賞、日本雑誌広告賞など受賞多数。
現在、日本デザイン団体協議会DOO(ディーオーオー)ジャパンデザインミュージアム設立研究委員会委員。
天野幾雄クリエイティブ・スタジオ代表。
変化のスピードが目覚ましい現代も含め、戦後から大きな変化があった広告の世界のグラフィックデザイン。その中でも変わらない大事なことはあるのでしょうか。今回は1966年から現在まで変化の連続だった57年間、グラフィックデザインの仕事を続けてこられた天野幾雄氏に、株式会社Too(以下、Too)に入社5年目の古正がお話を伺いました。
これまでに出会った表現から見えたもの
Too:今日はたくさんの資料をお持ちいただきました。こちらは天野さんがお仕事を始められた頃からの新聞広告ですね。このように取っておかれるんですね。
天野氏(以下、敬称略):新聞広告や、展覧会の案内状、年賀状、パンフレットなど、パッと目に留まって面白いなと思ったものを、記録として保管してきたものです。これまでの数多くの表現との出会いの中で、瞬間的に気になったものはこうして資料として取っておくようにしています。
デジタルの時代に入っているのは分かっているのだけれども、どちらかというと手を動かしていくアナログの方が僕は好きなんです。年齢的なことだけが理由ではなく、手と機械の違いは、心と体が繋がっているところだと聞いたことがあります。
Too:表現の参考にできそうなものを、天野さんの目によって1回フィルターをかけて、別の形に落とし込むことで、どのようなところが表現として面白いのか、興味を引かれるのかが浮き上がってくるのですね。
天野:SNSが発達してきたデジタルの時代、スマホの中に情報が大量に入っています。今の若い人たちはあまり新聞を読んでいない人も増えていると思いますが、新聞はニュース性も強くて、昔からある媒体です。これまで僕が取っておいていた30年分ぐらいの新聞を整理してみたら、なかなかやっぱり面白い。
新聞広告は金額も安くはないのに、1日で次の広告に変わってしまいます。テレビコマーシャルやポスターなど他の広告媒体もありますが、新聞は、手に取って見る中では一番大きいサイズになります。この大きな紙面を使って何を表現するかは時代によって変わってきています。各広告のメッセージは時代を反映していて、その時代の女優さんや流行が見えることはもちろん、表現方法もイラストレーションや写真、コピーライトなどによって変化しています。ただ長い時間を通しても、シンプルに表現したものが印象に残ります。
また、新聞というメディアの特性自体も変化しています。複数のページをまたいで表現したもの、極端な例ですが「新聞広告の日」には、フィルターをかけると動いて見えるもの、紙面に穴が空いているものなど、新聞も広告媒体としていろいろな見せ方の挑戦をしてきたことがわかります。
Too:私にとっては見たことのないものばかりです。シンプルで心が動くようなキャッチコピーやストーリーが添えられているものが多く、印象的です。商品の写真が大きく載った広告は少ないですね。
天野:私が仕事を始めた頃は文化が経済を生み出している時代でした。新しい製品も次々と出てきていて、そのため広告は物語性を重視されていました。今は経済の方が強いのか、製品の機能や効果をアピールする広告が多い印象はあります。
Too:広告が文化を作っていく役割が大きかった時代だったのですね。
天野:1960年に世界デザイン会議が開催され、製品の宣伝のためにキャンペーンを実施する企業が出てきました。ターゲットがはっきりしているキャンペーンを花火のようにドカンと打ち上げると、みんなが「私も買いたい」「私も」と集まってきてくれました。大量生産大量消費という言葉が、マーケティングの言葉として一般的だった時代です。企業が円錐形のような構造を作っていて、覗き込んだらその中心軸をみんなが見ることができました。こうした製品開発から広告キャンペーンまでの流れが、文化を作っていた実感があります。
今の時代は、人々のニーズがアメーバ状に広がり、多様性が求められています。多品種少量生産の時代になったのです。企業ではなくお客さまが主役になっているため、企業側はさまざまな領域に隅々まで入って商品開発をしなくてはいけません。ひとつの製品やキャンペーンが社会全体の文化を作り出すのではなく、いろいろなところでさまざまな文化が生まれているのだと思います。
心が動く本質部分を大切に
天野:ここに僕がすごく大事にしている「みる」という字があります。同じ「みる」でも「見る・視る・観る・看る」とたくさんの漢字があり、それぞれが持つ意味が違います。デジタルの時代に入ってきて、現在は「見る」という漢字に集約されてきてしまっていると感じています。
例えば調べ物をするときに、昔の人は大人も子供も自分の目でものを見つけなければいけませんでした。今は、人が集めた情報をネットで検索するのがほとんどだと思います。もちろん便利になってスピードも速くなったけれども、同時に劣化してしまったものもあります。
「視る」という字を見てみましょう。「視る」は、視野とか視点という言葉に使われます。同じ「みる」でも鳥のように上から俯瞰して眺める視野があったり、虫の目のように足元だけの辺りを見る視点があったりと、うまく表現できていると思います。
それから大事な「観る」という字。自分たちは自然の一部だと考えていた昔の人にとって、「観察」することがものすごく人間らしい部分でした。世の中を観察して、自然を観察して、物事の本質を追求していました。
「看る」は文字どおり手をかざして見る、手厚く物ごとを見るという意味合いが伝わってきます。
いつも僕が口にしている「不易流行」という言葉があります。今の時代はものすごいスピードでいろいろな変化をしていて、そのスピードについていかなければいけません。これは「流行」の方です。だけれども、変わらない「不易」があります。その変わらないものとは、人間が自然の一部であるという本質部分です。
その本質部分を見極める力も必要だと思います。私が長年このように資料を集めてきて改めて思うのは、自分の心の動く場所や好きなことの本質は変わらないということです。蓄積された資料を通して自分が大事にしたい本質が見えてきます。
来年、展覧会に出す絵に挑戦されているとおっしゃる天野さん。大きな画用紙に色鉛筆で薔薇の花を描かれています。これまで蓄積されてきた表現を大切にしながら、この先もクリエイティブな活動を続けられていく姿は、デザイナーではない私にとっても刺激になりました。私たちを取り巻く社会環境は常に変化し続けていますが、変化を受け入れつつも本質を見失ってはいけない。そういった姿勢を学ばせていただきました。
天野幾雄氏